雑記

副業をしようと思ったきっかけ

こんにちは!ククルです!

今日はちょっと副業をしようと思い、行動に起した今までの流れの話を書こうと思います。

現状に不満を持っている人や、副業をやろうか悩んでいる人に少しでも参考になればと思います。

社会人になるまで

小学生時代〜中学生時代

手取り50万円

それが僕の小学生の時の将来の夢でした。

そう言った時、担任の先生が苦笑いしながら「手取り50万稼ぐの大変だからねぇ」と言ったのは今でも忘れません。

子どもの僕は手取り50万円=お金持ちという謎基準を持っていました。

今のサラリーマンで手取り50万円だったら、年収額面で1000万円ちょっとと言ったところでしょうか。絶妙に届くか届かないかの範囲の目標設定をしていますね。

まぁ金額はさておき、当時から僕はお金持ちになりたいだけで、特にやりたいことはなかったのです。

ゲームやりたいとかそういう欲求はもちろんありますが、「やりたい仕事」がなかったのです。

それが残念ながら、今も概ね変わっていないのです。

希望だけで言ったらありますよ。飛行機や電車の運転手とかプロ野球選手とか、そういう所謂「子どもの将来の夢」と同程度のものは今としてはあります。

ただ、今更そんなことを思っても年齢的にも金銭的にも手遅れですよね。

(電車の運転手なら今から鉄道会社に転職すればまぁいけますが…)

しかもそんな憧れレベルのものも「絶対になる!』という原動力にはならず、部活や遊びに明け暮れていました。

ブログ名にもあるとおり昔からの飽き性だったので、習い事やスポーツ、ゲームもちょっとやったらすぐ飽きてを繰り返していたので、実力も素人に毛が生えたレベルにしかならなかったです。

強いていうならポケモンは初代から最新作の剣盾までやってますし、対戦のための厳選もしています。

ですがそれだけハマったゲームであるポケモンですら、対戦は気が向いた時になるレベルのエンジョイ勢でしかなく、知識も経験も他の人には負けないと誇れるものは何もないです。

高校時代

高校ではひょんなことから弓道部に入り、弓道を始めました。

ここで、スポーツ系で初めて飽きずに続けられるものに出会ったことになります。

本筋から外れるので高校生活の話は割愛しますが、「弓道を続けたい」という思いが後々副業の原動力の一つとなっていきます。

というのも、弓道にどハマりしたククル青年は、大学でも続けたい、社会人でも続けたいと思うようになります。

全国大会、世界大会と、目標は大きいからですね。

大学はもちろん弓道部がある大学を選びました。

しかも弓道部があればなんでも良かったので、AO入試で超簡単に入れる大学を選びました。(Fランではないとは思いますが、まぁ低い方です)

学部なんてもっと適当で、「パソコン好きだし(ただしニコ動見るだけ)、情報学部でいいかぁ」という雑さ。

この選択は大失敗でした。

今でも過去に戻れるのならこの時に戻って大学選びをし直したいくらいです。せめて学部だけでも。

大学生時代

情報学部の大学に入学したククル青年。

ここでいくつか問題がありました。

1.プログラミングセンスが全くない

2.勉強が大嫌い

3.英語が絶望的にできない

4.ものづくりに対しての情熱、モチベーション、好奇心などがない

これ、エンジニアになるのに全部致命的なんです。

逆にこれらのどれかでも当てはまらなければきっとエンジニアができるともいます。おめでとうございます!

 

そんなこんなで、プログラミングの講義は全く頭に入ってこないし、プログラムは英語がベースなので頭が痛いしでただただ苦痛でした。

2年目以降はプログラミングの講義をほぼ取らないくらいには苦痛でした。

元々、どうせ勉強するなら経済学や心理学などの方がよっぽど興味があったので、他学部科目の単位取得ってことでそちら側の講義ばかり受けてました。

そんなことをしているので、同じ学部の同級生とはプログラミングスキルに圧倒的な差が出てくるわけです。

どのくらいできないかというと、1年目のプログラミングの講義で「配列」で挫折したくらいにはできません。

2年目のオブジェクト指向の講義で「スーパークラス」とか言われたら眩暈がしました。※わかる人にだけ伝われば良いです笑

講義以外は弓道とバイトに明け暮れていたので、本当に弓道のためだけに大学に行ったようなものです。

そんな状態なのに、就活ではIT企業を目指してしまうんですね。

情報学部所属なのもありましたが、プログラミングを舐めてたのが大きいですね。

「どうせ将来はプログラムはAIが書いてくれるからマネジメントに専念すればいい」

「どうせ下流要員はオフショア(単価の低い外国人等)や下請けがやるから、大企業に入りさえすれば大丈夫」

本当にそう思っていました。あながち間違いではないのですが、それらをやらなくて良くなるまでの下積みが必要なことを全く無視していたのです。

この頃の僕は「艦これ」にどっぷりハマっていたので、家にいるときはずっと「艦これ」をひらいてましたね。

この時間の3割でもプログラミングや資格の勉強に充てていれば、いくつか成果は出ていたんじゃないかと思うくらいやってました。

そんなわけで、IT企業に内定はもらえましたが、口先だけ達者なスキル0人間が出来上がり、世に放たれていくわけです。

社会人時代

IT企業に就職し、晴れて懲役40年の社畜となったククル。

この時は大学時代の教授からの教えである「ITは残業で稼いでなんぼ」が絶対だと思い込んでいました。

IT業界にお勤めの方はわかると思いますが、それが通用するのって2000年代までの話なんですよね。(一部ブラック案件は除く)

とはいえ、初配属のプロジェクトはまさにそんな前時代的なところでした。

残業をすればするほど評価されますし、残業を減らせと言われて稼働調整頑張って減らしたら、「なんでお前だけ稼働低いの?」と怒られたりもしました。

その分(残業代で)手取りは多かったですし、残業すれば評価されるので昇給額も多かったです。

就職前からこんな感じのキャリア形成をイメージしていたので、そういう意味では順調でしたね。まだ副業は考えてないです。

ただ、社会人になっても続ける予定だった弓道ができなくなったのはちょっと気にはなっていました。忙しくてそれどころじゃないんですけどね。

 

そんなこんなで紆余曲折あって結婚しました。

そこからも引き続き残業の嵐でしたが、妻の妊娠が発覚してからはそうも言ってられなくなります。

子どもが産まれてからはもっと辛い日々でした。

仕事は終わらない。残業時間も減らせない。ストレスマッハ状態で日を跨いで家に帰ると、妻の舌打ち。子どもの夜泣き。

 

これは、壊れるな…

 

と思って思い切って育児休業を取りました。

そこからはひたすら子育てを頑張りました。

おかげで子どもとの関係をだいぶ構築できたのかなと思います。(あのまま仕事をし続けていたら知らないおじさん化してたかも…)

 

育児休業が終わり、現場復帰をすると、だいぶ楽な案件に配属されました。

そこでは定時退社は当たり前。メールのやりとりも数日かけてゆっくり…

世界が違いました。ITの現場でこんな現場があるのかと思いました。

ただ、そんなククルに待っていたのは、定時退社による手取り額の大幅ダウンです。

死ぬほど働いていた時は残業代だけで10万円以上なんて当たり前だったので、単純にそれがなくなるのはだいぶ痛かったです。

そして今の仕事で給料を上げるためには出世をしないといけない。でも出世するとただただ嫌な仕事や責任だけ増えていく。

そして何より、今の現場に配属されて痛感したことが一つあります。それは、

プログラミングスキルのなさが今になって大打撃となっていること

社会人になってからも、忙しさを理由にプログラムの勉強は避けていましたし、IPA試験(基本情報や応用情報)も受験のポーズだけして当日行かないとかを繰り返していました。

そんなことをしていたので、技術力はないのに気合と根性と口先だけで昇給昇格しまくった結果、これ以上大幅な昇格が見込めなくなってしまったのです。

もちろん今からでも勉強すれば間に合うかもしれません。ですが、そこでスキルを上げても自分の胃に穴が開くだけの未来しか見えず、それがモチベーションの邪魔をしているのかもしれません。

そしてこれから

そんなこんなで、最近は暇な時間も多かったので色々今後を考えた結果、以下のことを思うようになりました。

 

  • 将来、子どもとの時間をもっと持てるようになりたい。
  • 弓道を本格的に再開して、大会を目指したい。
  • 自分に向いてないエンジニアを辞めたい。

これらを実現するためには、今の仕事を続けては絶対にダメだと思い、「副業を始めよう」という思考になりました。

もちろんエンジニアを辞めるのに副業が本業レベルになるまで待つ気はありません。

自分の興味のある職業や時間の取りやすい公務員等への転職の準備はしています。

ですが、それ以外の2つについてはサラリーマンである限り、充分な形で実現はできないと思ったので、それを叶えるために副業を始めようと思いました。

 

ブログやせどり、FX(…は投機だから微妙だけど)等、これから夢の実現に向けてできることはどんどんやっていこうと思っていますし、効果が出た物は当ブログでも発信していきます。

 

長くはなりましたが、これまでのククルの半生をご覧になって、少しでも何かのきっかけになってもらえたら嬉しいです。

それでは!