スポンサーリンク
自民党内での長いキャリアを誇る石破茂氏ですが、2024年の次期総裁選の候補者の一人としても名前が挙がっているものの、その「不人気」は長年の議論の的となっています。
石破氏の政治キャリアには様々な出来事があり、過去にさかのぼると、いくつもの裏切りとされる行動がその不人気の背景にあることがわかります。
石破茂氏の「不人気」の理由
まず、石破茂氏が党内で支持を集めづらい理由として、以下の要素が挙げられます。
- 派閥に対する批判と孤立
石破氏は過去に「派閥政治」を批判し、伊吹派を離脱しましたが、自ら「水月会」という派閥を結成したため、一貫性に欠けると批判されました。彼の派閥内での立場や行動は、他の自民党内の重鎮から見ると信頼に欠けるものと見られています。 - マスコミとの関係と党内での反感
石破氏はメディアで安倍政権を批判したり、党内で異論を唱えることが多く、自民党内での反感を買っています。特に、森友学園や加計学園問題での発言や自衛隊日報問題での発言は「党内の仲間を裏切った」と見られることが多く、その結果として支持が伸び悩む理由となっています。 - 政策への懐疑的な態度
石破氏は、安倍政権時に担当を申し出られた安保法制関連の役職を断り、代わりに地方創生を担当しました。しかし、地方創生の政策では大きな成果を上げられず、地方からの期待を裏切ったとされています。これにより、地方の支持者からの信頼も低下しました。
石破茂氏の裏切りの歴史
石破氏の不人気の背景には、数々の「裏切り」のエピソードが深く関係しています。彼は多くの政治家や支持者を裏切ったと見られる行動を繰り返し、それが党内外の信頼を失う原因となりました。以下にその主な事例を紹介します。
- 田中角栄氏との決別(1981年)
石破氏の父が亡くなった際、真っ先に駆けつけてくれた田中角栄氏に感謝しながらも、石破氏は田中派ではなく中曽根派から政界デビューを果たしました。この行動は「田中角栄氏への裏切り」と見なされ、多くの人々に衝撃を与えました。 - 自民党離党(1993年)
自民党が野党に転落した際、石破氏は「自民党の歴史的使命は終わった」と発言し、自民党を離党しました。これは党内での信頼を大きく損ない、彼に対する不信感を広める結果となりました。 - 小沢一郎氏との対立
新進党の結成に加わった際、石破氏は小沢一郎氏を「真の改革者」と称賛しましたが、党首に選ばれた小沢氏の方針に反対し、総選挙前に離党しました。これもまた「裏切り」として党内外で批判を浴びました。 - 麻生太郎氏への不信行動
麻生政権時代に閣僚を務めながらも、支持率低迷の中で「麻生おろし」に加担しました。この行動は、麻生太郎氏を含む多くの自民党支持者に対する裏切り行為として記憶されています。 - 安倍晋三氏との対立
安倍政権に対しては幹事長としての役割を果たす中で、多くの地方選挙での敗北が続きました。その後、メディアを通じて安倍政権を批判する姿勢は、党内から「背後から撃つ」との批判を受け、不信感が高まりました。
まとめ
石破茂氏が自民党内で不人気である理由には、派閥に対する批判的な態度や、メディアを通じた政権批判、そして数々の裏切り行為が影響しています。
これらの行動は党内外の信頼を損ない、結果として総裁選での支持が伸び悩む要因となっています。
スポンサーリンク