戦慄かなのさんは、アイドルとして活動しながらも、壮絶な過去を経験してきたことで知られています。
その過去の中でも特に注目されるのが、少年院に入った理由です。
この記事では、戦慄かなのさんの生い立ちから、なぜ少年院に行くことになったのか、その背景にある出来事について詳しく説明していきます。
戦慄かなのの生い立ちと家庭環境
戦慄かなのさんは1998年9月8日、大阪府で生まれました。
彼女の幼少期は決して順風満帆なものではなく、むしろ過酷な環境の中で育ってきました。
家庭環境の複雑さが彼女の後の人生に大きな影響を与えています。
両親の離婚と母親との生活
幼少期に両親が離婚し、彼女と妹は母親との三人暮らしを余儀なくされました。
しかし、この母親との生活は非常に不安定であり、母親からの育児放棄や虐待を受けていたことが後に明らかになっています。
特に、父親がいなくなってからは母親が子育てに関心を持たず、家の中で家事を行っていたのは主に父親だったと言われています。
そのため、両親が別れた後、戦慄かなのさんと妹は十分な育児を受けることができませんでした。
母親は頻繁に長期間家を空けることがあり、その間、戦慄さんと妹は放置状態に置かれていました。
このような生活の中で、戦慄さんは「基本的な生活習慣」を教わる機会がなく、着替えや入浴、歯磨きといった基本的なケアも疎かにされていたそうです。
このため、学校でのいじめの対象にもなってしまいました。
清潔感がなかったことで、周囲の子供たちから孤立し、さらなる精神的な苦痛を受けることになります。
虐待と精神的な苦痛
母親からの暴力や育児放棄によって、彼女は心身ともに大きな傷を負いました。
母親は彼女たちに対して暴力をふるった後、謝罪を繰り返すこともあったため、戦慄さん自身はその異常さに気づけなかったといいます。
このような環境で育ったため、彼女の精神は幼い頃から大きく傷ついており、小学校時代から自律神経失調症やパニック障害を患うようになりました。
中学時代と自殺未遂
中学校に進学してからも、戦慄さんの生活は改善されることはありませんでした。
中学2年生の時には、学校でのいじめに耐えきれず、校舎から飛び降りて自殺を図るという事件が起こります。
幸いにも一命を取り留めましたが、この出来事は彼女の心に深い傷を残すことになりました。
高校生活と母親の放置
高校に進学した戦慄さんでしたが、学校の勉強についていけず、わずか1年で自主退学を選択します。
その後、母親が恋人と共に海外旅行に出かけてしまい、彼女と妹は家に取り残されました。
食事は最初の3日で尽き、水道水で空腹をしのぐしかなかったと言います。
この経験を通じて、彼女は「お金があれば自立できる」という強い思いを抱くようになり、お金に対する執着が一層強まりました。
JKビジネスと少年院行きの理由
高校を退学した後、戦慄かなのさんは生活費を稼ぐためにさまざまな手段を試みました。その中で手を染めてしまったのが、JKビジネスです。
この行為が結果的に彼女を少年院送りにする決定的な理由となりました。
犯罪グループとの関わり
当初、戦慄さんは犯罪グループの雑用や手伝いをしていました。
彼女は当時、その行為が犯罪であるという意識が薄く、自分の行動に対して罪悪感を持つこともありませんでした。
しかし、生活費を稼ぐためにもっと効率的にお金を得たいと考えた彼女は、次第にJKビジネスに手を出すようになります。
JKビジネスの運営と逮捕
戦慄さんは自ら女子高生をスカウトして、JKビジネスを立ち上げ、月に100万円以上の収入を得ていました。
このビジネスは、未成年を対象にしたものであり、違法行為であったため、彼女は次第に警察の目を引くようになります。
そして、最終的に警察に逮捕され、保護施設に送られた後、少年院に収容されることとなりました。
少年院での生活と長老と呼ばれた理由
戦慄かなのさんが少年院に入ったのは16歳の冬でした。
当初は当然のように反発し、監視カメラに向かってサンダルを投げたり、中指を突き立てるなどの問題行動を繰り返していたため、通常の収容期間である10ヶ月を大幅に超え、2年間も収容されていました。
その結果、「長老」とまで呼ばれるほど長期間にわたって収容されていたのです。
しかし、そんな彼女を変えたのは、50代のベテラン法務教官との出会いでした。
他の教官とは違い、この教官は彼女と一対一で向き合い、話を聞いてくれたため、戦慄さんは徐々に心を開くようになります。
この教官との信頼関係が、彼女の行動に変化をもたらし、最終的には高卒認定試験に合格するまでに至りました。
少年院出所後のキャリアと社会貢献活動
アイドル活動の再開
少年院を出所した戦慄かなのさんは、2017年にアイドルユニット「のーぷらん」として芸能界に復帰します。
しかし、大学受験を理由にこのユニットを卒業し、その後「ミスiD2018」で「サバイバル賞」を受賞しました。
これにより注目を浴び、2018年には妹の頓知気さきなさんと共に新しいアイドルユニット「femme fatale」を結成しました。
法学部への進学と社会貢献
少年院での経験から、戦慄さんは法務教官にお世話になったことや、自分自身が受けた虐待の経験を踏まえて、法律の知識が必要だと感じ、大学で法学を学ぶことを決意します。
2018年には私立大学の法学部に進学し、アイドル活動をしながらも、虐待を受けた子供たちを支援するために努力を続けています。
NPO法人「bae」の設立
戦慄さんは、自身の過去の経験から同じように虐待や育児放棄を受けている子供たちを支援するために、NPO法人「bae」を設立しました。
この団体は、困難な状況にある子供たちに対して支援を行い、彼らが安心して過ごせる環境を提供することを目指しています。
彼女の行動は、まさに彼女自身が必要としていた支援を他の子供たちに提供するものであり、強い共感と尊敬を集めています。
まとめ
戦慄かなのさんが少年院に入った理由は、JKビジネスに関わったことや荒れた生活を送っていたことが背景にあります。
しかし、その過程で経験した困難や出会いが、彼女の現在の活動や人生観に大きく影響を与えました。
少年院での生活は厳しいものでしたが、ベテラン法務教官との信頼関係を築く中で、自らを見つめ直し、人生を変えるきっかけとなったのです。
現在は法学を学びながら、アイドル活動や社会貢献活動に積極的に取り組んでいる戦慄かなのさん。
その経験をもとに、虐待や育児放棄を受けた子供たちを支援するために立ち上げたNPO法人「bae」は、彼女の過去を乗り越えた証であり、同じような経験を持つ人々を支えたいという強い思いが込められています。
戦慄かなのさんの壮絶な過去とその乗り越えた経験は、今後の彼女のさらなる活躍と、彼女が支援する子供たちへの希望につながることでしょう。